ペンタグリッドコンバーター(Pentagrid-Converter)

 

ラヂオのスーパーヘテロダイン方式は、UV-201uv-199を用いた大正時代から存在しておりましたが、周波数変換がネックとなっていました。1932(昭和7)年に57,58が開発されてからは、それら5極管のG3に局部発振電圧を加えることで混合・周波数変換に用いられたりしていましたが、感度が低く、大きな局発電圧が必要という欠点がありました。

そこで、ラヂオの周波数変換用の専用管として、1934(昭和9)年に、2A7が米国で開発されました。2A7は、グリッドを5つ持つ7極管であることからペンタグリッドコンバーターと呼ばれ、局部発振用に別途真空管を用いることなく、この球のみで発振と混合(周波数変換)ができるという画期的な真空管でした。構造としては、元々の5極管の第3グリッドの外側にさらにグリッドを設けて、これを第2グリッドと接続して、外側に第3グリッド(後述の新たな第2グリッドを数えると第4グリッド)と第4グリッド(後述の新たな第2グリッドを数えると第5グリッド)からなる4極管構造を構成し、一方、第1グリッドと第2グリッドとの間に発振プレート代わりに新たにグリッド(といっても支柱のみ)を設けて、第1グリッドと新たな第2グリッドとで3極管構造を構成する設計となっています。すなわち、内部側の3極管を局部発振用に用い、外部側の4極管を周波数混合用に用いるという画期的なものでした。従って、トップには、コントロールグリッドとして第4グリッドが引き出されており、第1グリッドが発振グリッド、第2グリッドが発振プレート(支柱のみ)、そして、第3グリッドと第5グリッドとが管内で接続されスクリーングリッドとなっています。足は新たに採用された小型の7ピン(UT型、我が国ではUt型)です。そして、これの6.3V管が6A7となります。我が国でも、同年内に国産化されましたが、最新鋭の球のため高価でまた製造上の困難さとバラツキのため動作が不安定な場合もありました。

無線と実験」の昭和10(1935)年4月号pp.23〜30に、川野 生(読売新聞社ラヂオ技術部長)氏の"特殊新球の使用法について"との記事があり、「ぺンタグリッド・コンヴァター(Pentagrid converter) これはペンタグリッド、即ち5つのグリッドを持つ周波数変換器用で、スーパー・ヘテロダイン受信機の第1検波と発振球とを併用出来るものである。従来のスーパー・ヘテロダイン受信機は、既知の如く第1検波球と発振球とを2個組み合せて使用している。これは受信機を組み立てる上から、調整する上から相当の煩雑を持っていたが、この真空管の出現によって可成りの革命的と考えられる。 殊にこのぺンタグリッド・コンヴァター球は特別の注意を喚起せざるを得ない。これは電子結合(Electron coupling)という点である。一般のスーパー・ヘテロダイン受信機の発振器と第1検波とは、殆ど電磁結合(Magnetic coupling)になっていた。所がこの真空管は共通的の同一カソードに対し、電極(Electrode)を配列してあるために、館内に於いて電子結合となり、其の結合度の安定や、2つの回路が相互に悪影響することなく使用出来る点は他の結合方法の追従を許さないところである。この真空管には3種がある。 2A7(A.C.用) 6A7(6V蓄電池又はトランス・レス用) 1A6(乾電池又は2V蓄電池用) 等である。・・・構造の大体としては、先ず中央にカソードを有し、その外周に第1グリッド、更にその外周に第2グリッド、更に第3グリッド−第4グリッド−第5グリッド−プレートという様な所謂多極管(Multiple electrode)の1種である。使用法としては第1グリッドを発振管のコントロール・グリッドとし、第2グリッドは発振管のプレートとす。故にこの3つをオッシレーター・セクションと言っている。尚、第3グリッドと第5グリッドを共結してスクリーンとし、第4グリッドをアンテナ回路からの受信同調回路のコントロール・グリッド(制御グリッド)として使用せられるものである。」(引用者注:旧字と明らかな誤記は適宜訂正した。)と記載されています。

2A76A7は、(1)EsgよりもEpを高くしないと、プレートの2次電子のため内部抵抗が下がる、(2)AVC電圧(Eg3)により発振周波数が変化する、(3)Eg3により電極間容量も変化する、(4)発振プレート電流にEsgの2次電子の影響が入るため、発振が安定しない、という欠点があったので、特に短波帯には使えないことを解消する球として、1935(昭和10)年に、短波帯用としての特性を重視して混合専用として、メタル管の6L7が米国で開発されました。構造としては、元々の5極管使用のG3注入(インジェクション)において、第3グリッドよりも外側を5極管として、すなわち、第3グリッドの外側にさらに第4グリッドを設けてスクリーングリッドとし、さらに外側に第5グリッドを設けてこれをサプレッサグリッドとするものです。従って、トップには、コントロールグリッドとして第1グリッドが引き出されており、第2グリッドと第4グリッドとが管内で接続されスクリーングリッドとし、第3グリッドが発振管からのインジェクショングリッド、そして、第5グリッドがサプレッサグリッドとなっています。足は新たに採用されたUS8ピンで、外囲器は新たに登場したメタル管でした。専用の発振管が別途必要ですが、感度が低下するといった欠点はあったものの短波帯でも安定して動作させることができました。もちろん、中波帯など周波数の低いバンドでは、発振管なしで使用することもできました。

これは、ガラス管化されて、6L7G6L7GTに続きます。6L7は我が国でも(恐らく)やっと3年遅れでUS6L7として国産化されました。もっとも我が国では、メタル管の歩留まりが悪いため、ガラス管である米国の6L7GUSオクタル8ピンからUt7ピンベースとし、トップのグリッドキャップもUt-6A7と同寸法とした(すなわち、外見上は、全く同様としたST管の)Ut-6L7Gが製造されました。このUt-6L7Gがいつ製造されたのかは不明ですが、基となった6L7Gが米国で1935(昭和10)年に製造されていますので、翌年辺りには製造されたのではと推測しています。

また、6A7も後の1935(昭和10)年にメタル管化されて、6A8となり、これもガラス管化されて、6A8G6A8GTに続きます。6A8は我が国でもやはり3年遅れでUS6A8として国産化されました。

そして、6A8の改良版として、シングルエンドとし、電極を新たに設計し直ししたユニークな構造を持ったメタル管の6SA7が米国で開発されました。構造としては、第3グリッドをコントロールグリッドとし、その外側に第4グリッドを設けて、これを第2グリッドと管内で接続してスクリーングリッドとし、さらに外側に第5グリッドをサプレッサグリッドとして設け、管内でカソードと接続して、5極管構造を構成し、一方、第1グリッドを発振グリッドとして、発振コイルにカソード電流を流して用いるというものでした。これもガラス管化されて、6SA7G6SA7GTに続き、さらに、mT化されて、6BE6に続き、最もポピュラーな球となりました。我が国では、戦後の昭和23(1948)年になってやっと、米国で既に存在していたmTの6BE6を製造することは無理なので、9年も昔(戦前)に米国で開発されたGTの6SA7GTを、時代に逆行してSTに焼き直した6W-C5を製造し、当時ブームとなっていた5球スーパーラジオ用に供給しました。

これらの関係を年表で示すと下記のとおりです。

年号 米国 我が国
1934(昭和9)年 2A7,6A7(ST) Ut-2A7,Ut-6A7(ST)
1935(昭和10)年 6L7(メタル),6L7G(グラスオクタル),6A8(メタル),6A8G(グラスオクタル) ・・・
1936(昭和11)年 ・・・ Ut-6L7G(ST)(開発年は推測)
・・・ ・・・ ・・・
1938(昭和13)年 6SA7(メタル) US6A8(メタル),恐らくUS6L7(メタル)も
1939(昭和14)年 6SA7GT(GT) ・・・
・・・ ・・・ ・・・
1945(昭和20)年 6BE6(mT) ・・・
・・・ ・・・ ・・・
1948(昭和23)年 ・・・ 6W-C5(ST)

 

他の球についても後ほど追加します。

 

 

(参考文献)

 一木吉典著「全日本真空管マニュアル

 有坂英雄著「眞空管談義

 

 

(2020/05/24)

 

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